お米通信販売の【北信州こやなぎファーム】平成24年皇室献上。創業100年の実績。北信州の気候に合わせた特別な栽培方法で丹精こめて作っています。

はじめまして。小柳農園 新井康寛です。

prof 北信州 高社山(高井富士)の麓、長野県は中野市柳沢という村で、稲作経営をしています。
中野市柳沢は飯山市、木島平村、山ノ内町、小布施町等と隣接し、近年柳沢遺跡から水田跡、銅戈、銅鐸、土器、ヒスイ、などの弥生時代の歴史をくつがえす貴重な物が発見されました。
この大きな遺跡群により、中野市柳沢は稲作の名地の一つに挙げられるようになりました。
 栽培している主力品種は「コシヒカリ」で、この他に「風さやか」「ゆめしなの」「もちひかり」「ヒメノモチ」「美山錦」等を栽培しております。

精米事業と肥料・燃料販売の家に育つ

prof_r1_c1祖父の代から続く精米所に、父が肥料、農薬、燃料の販売を加えた小柳商店の末っ子として1978年生まれました。
兄姉と少し年が離れており、仕事で忙しかった両親の代わりに祖父母からの愛情をたくさんもらいました。幼い頃には祖父と精米の際にでる「米ぬか」を集めたり、一緒に時代劇を見ていたことを今でもはっきりと覚えています。
また休みに退屈だった私を祖母が畑へ連れ出し、ほめながら野菜作りの楽しみを教えてくれました。

農業が忙しくても5月5日は子どもの日

prof_r3_c1農業にとってゴールデンウィークは超繁忙期。
でも幼い私は両親に「子どもの日なのにウチはどこにも行かないね」と質問したことがあったそうです。その時私を不憫に思った祖父はあわてて旅館を取ってくれ、急きょ旅行が計画されました。連休の真っただ中、宿を取るのも大変だったと思います。
 今でも我が家の家訓としても5月5日は子どものために時間を使うというルールが残っています。

初めての一人暮らし。故郷の素晴らしさに気づく。

 家業や祖父母の影響を受け、「将来は家業を継ぎ、農業に関連する仕事をする。」と自然と思っていましたので名古屋の農学部へ進学しました。 一人暮らしを始める私を祖母は涙ながらに送り出してくれました。
 一人暮らしで何かと苦労する私に、定期的に祖母や母から新鮮なお米や野菜が届きました。
今まで当たり前のように食べてきたお米や野菜がおいしかったことにビックリするとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

社会人1年生

実際に作物を育てることが本当の勉強に・・・名古屋での学生生活を終え、実家に戻ることを決めていた私は、肥料や農薬販売の勉強をするために、埼玉にある肥料メーカーの生物科学研究所に1年間研修に行きました。
 しかし農学部で勉強したとはいえ、実家の経営の詳しいことを知らない、作物の栽培の流れも知らない、どの品目について調べればよいかもわからない、実践するための方法について何も知らないことに気づきました。 

「環境がこんなに整っているのに、どうして一年実家に戻り仕事を知ってから、研修に来なかったのだろう」と後悔する毎日。
そんなある日先生に「今は周りの人たちとの差に後悔が大きいかもしれませんね。でも休まないで努力すれば、いつか少しずつその差が縮まって、たとえ追い越すことはできなくても、追いつくことならきるかもしれませんよ」とご指導いただきました。
その日から覚悟を決めました。思いつくことを一つ一つ一生懸命やろう!わからないことがわかるようになるまで…

実際に作物を育てることで勉強を

prof_r6_c1研修を終え実家に戻った私は米の栽培はもちろんのこと、農薬や肥料の効果、野菜の栽培について、実践できる喜びを肌で感じることができました。
種まきの時期や栽培方法などが「どうやっているのだろう?」が「こうやっていたのか!」にかわる瞬間。
仕事以外の時間も畑や田んぼに行き、周りのアドバイスも勉強になる日々でした。関連する書籍は片っぱしから読んでいきました。
毎日が実践できる喜びでそれが苦労だとは感じませんでした。
しかしそんなある日、作り手が減ってきている現状に気がつきました。

商人から生産者になる決意

 長野オリンピックで大きな道路ができ便利な街になったけれどこのままでは10年後、米を作る人が地域からいなくなってしまうのではないだろうか?悩みました…。
精米所を一緒にやった祖父との思い出、小さい頃からなりたかった米屋。
離れて分かったふるさとのお米の美味しさ。そして自分が生産者となってお米を作ろうと決意しました!

減農薬、減化学肥料栽培への挑戦

 ただ米を作るのでは世間で通用しない。特別なお米を作ることが必要。
「将来の子ども達にも安心して、ごはんを食べてもらいたい。」
そんな思いから減農薬、減化学肥料の栽培を試すことにしました。
しかし、父から猛反対を受けました。生産者として何の経験もない私には当然のことで。
農薬を使わなかったり、有機肥料で栽培するのはコストもかかるし、手間に見合う成果が出るかわかりません。
また産地としても一流ではありません。地域の水田の面積も決して多いわけでもありません。でもお米の味には自信がありました。ただそれを知ってもらう必要がある。

有機栽培のむずかしさ

営業をして、お客様の手応えを・・・ まずはたくさんある肥料からいろいろな組み合わせを試しながら納得のいくお米を育てるために、土地に合う肥料を探しました。
種粕、豚ぷん、化学肥料など20種類以上の肥料を試しました。
年間の差を少しでも縮めるために1つ1つの田んぼに1つ1つの課題を設けて。農薬も1つ1つ削れそうなところを考えて減らしていきました。
でも本当の使い方や作業のポイントを理解していなかったために、病気や草、虫の被害にあってしまいます。
どんなに草取りをしても追いつかず、稲が草に負けてしまうこともありました。
農薬を1つ減らしただけなのに稲の成長が思うようにいかない。それでも毎日1人で草取りをしました。

「自分の米は自分で売る!」

農薬を減らすことに反対を受けながら、もう1つ父と約束をしました。
「自分の米は自分で売るようにする!」
有機栽培に打ち込むかたわら、自分のお米を知ってもらうため県外での販路を求め、飛び込みの営業や、マルシェへの参加を積極的に行いました。
電話帳を片手に1軒1軒お米屋さんを探し足を運びました。

長野県原産地呼称管理制度の認定

月日が過ぎ試行錯誤の結果、何とか様になるようになってきました。
そして長野県の「信州の環境にやさしい農産物(特別栽培米)」の認定をいただくことができました。
またそのころから長野県のブランド米の認定制度である、長野県原産地呼称認定制度に挑戦してみたいと思うようになりまた。
この制度は長野県の農産物と農産物加工品のうち、特に味と品質が優れたものを認定する制度で、信州産農産物のブランド化を目指す味と品質を保証する制度です。

image002_4「納得できる栽培方法ができてきた!この完璧なお米を評価してもらいたい!」初めて挑んだ結果は不合格でした。
なぜか分かりませんでした。
こんなに美味しい米なのに?不合格?この審査を受けてどうなるのだろう?
収穫を終えたばかりのお米や、これから食べてもらうお米の存在を否定される気持ちになりました。
そんなある日「こんなことなら審査に出すのをやめてしまおう!」と審査を二度と受けないという私に「そんなことなら米作りをやめてしまえ」と強くお叱りを受けました

「おいしいお米をありがとう」で気づく本当の米作り

h26 ある日、祖父の代からのお客さんである一人暮らしのおばあさんの家にお米の配達に行きました。
おばあさん:「いつもおいしいお米をありがとう。」「感謝、感謝、今日もおいしくお米が食べられて、私は幸せだ!」「私はこのお米があれば十分だよ。」
と手を合わせて喜んでもらいながら、昔の話を聞かせて下さいました。
戦争時代の大変さ、必死で仕事をして子供を育てたこと、その子供が都会で頑張っていることなどでした。
その言葉が「はっ!」と自分を我に返してくれました。
自分は稲のことを、米作りのことを本当に考えていたのだろうか?
育てた稲や収穫したお米の気持ち、またそれに携わるすべての人たちのことを考えていたのだろうか?
いつしか農薬や化学肥料を減らすことばかり考えている自分。
できたお米を自慢したい自分しかいないことに気づきました。
本当に土地の田んぼや稲を活かしていたのだろうか…?本当の生産者だったのだろうか…?      

気持ちを新たに米作りへの再挑戦

長野県原産地呼称管理委員会・認定・それからもう一度原点に返って、稲の生長を見ながら、その時自分ができる精一杯のことを行いました。
少ない経験ながらも同じ失敗は絶対にしないという思いで。
そして農薬を使わないのではなく、稲を元気よく実らせてあげるために農薬をできる限り減らそう。
稲の力を引き出しながら、寄りそって成長しよう。
「自分だけには絶対に負けないように。」そして収穫の秋、もう一度審査に挑戦しました。
結果は合格。ついに長野県のブランド米の1つに私のお米も加えていただくことができたのです。
種まきから精米までの一貫した工程を認めてもらうことができた瞬間でした。

皇室へ献上させていただきました。

平成24年の秋。
皇室新嘗祭の献納式によんでいただくことになり、献上農家の仲間入りをさせていただきました。
陛下がとても大切にしている新嘗祭のお米として。
儀式では実際にお米を食されたそうです。献納式にて賜ったお言葉を胸に今後とも精進していきたいと思います。
土を活かして稲を活かす。稲を活かしてお米を活かす。米を活かして地域を活かす。
まだまだ未熟者ですが、わずかながらなお米ですが喜んでいただけることを祈って皆様にお届けできたらと思います。

niinamesai

kodomonohi

いつしか農薬や化学肥料を減らすことばかり 考えている自分と 頑張って作ったお米を自慢したがっていた 自分しかないことに気が付きました。  そして改めて 土地の田んぼや稲を活かしていたのか・・・ 本当の生産者だったのか・・・

公開日:   最終更新日:2015/11/22

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