コシヒカリ

 

お米通信販売の【北信州こやなぎファーム】平成24年皇室献上。創業100年の実績。北信州の気候に合わせた特別な栽培方法で丹精こめて作っています。

お買い上げいただきありがとうございました。苗を育てるための重要な時期のため今回は参加できずに残念です。私はスノーモンキーで知られる長野県の中野市柳沢で稲作経営をしています。

園主の自己紹介

精米事業と肥料・燃料販売の家に生まれる

私は祖父の代から続く精米所に、父が肥料・農薬・燃料の販売を加えた小柳商店の末っ子として1978年に生まれました。

 兄姉と少し年が離れており、仕事で忙しかった両親の代わりに祖父母からの愛情をたくさんもらいました。幼い頃は精米時に出る「米ぬか」を祖父と集めたり、祖母の畑仕事へついて行き野菜作りを楽しんだりしました。

初めての一人暮らし、故郷の素晴らしさに気づく

 家業や祖父母の影響を受け、「将来は家業を継ぎ、農業に関連する仕事をする」と思っていたので名古屋の農学部へ進学しました。 一人暮らしを始める私を祖母は涙ながらに送り出し、何かと苦労する私に、新鮮なお米や野菜を送ってくれました。今まで当たり前のように食べてきたお米や野菜がおいしかったことに感動するとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

生産者になる決意

5年後、学生生活と修行を終えて実家に戻ると昔の状況から一転、生産者の高齢化により10年後には米を作る人が地域からいなくなってしまう?!という危機的状況に陥っていました。離れてわかったふるさとのお米の美味しさ・・・。

たくさん悩んだ結果、自分が生産者となってお米を作ることを決意しました。

減農薬、減化学肥料栽培への挑戦

 日本各地で生産されているほど日本人にとってお米は日常の食べ物。それだけにただ米を作るのでは世間で通用しない。

特別なお米を作ることが必要である。また、「将来の子ども達に安心してごはんを食べてもらいたい。」そんな思いから減農薬、減化学肥料の栽培を試すことにしました。しかし父に猛反対されました。生産者として未経験の私には当然のことで、農薬を使用せず、有機肥料で栽培するのはコストも手間もかかります。しかもそれに見合う成果が出るかわからなかったからです。

そんなこともあり一人での挑戦となりました。刻々と変化する自然環境に目を向けていれば好期を逃し、稲を枯らしてしまう。1つの農薬を減らすだけで病気や草が発生してしまう。子供も生まれこの子に安心して自分のお米を食べさせられる日はいつ来るのだろう?米作りの知識も経験もない私には苦労の連続でした。

おいしいお米の完成と挫折

特別栽培米 栽培

試行錯誤を続け就農から5年、長野県の「信州の環境にやさしい農産物(特別栽培米)」として初めて認定されました。

そして次は長野県ブランド米の認定制度である長野県原産地呼称認定制度に挑戦することを決めました。

この制度は長野県の農産物と農産物加工品のうち、特に味と品質が優れたものを認定する制度で、信州産農産物のブランド化を目指す味と品質を保証する制度です。 

「納得できる方法でお米ができた!」

「この完璧なお米を評価してもらいたい!」

自信たっぷりに初めて挑んだ結果は不合格。納得できませんでした。

こんなに美味しい米なのに?

不合格?

この審査を受けてどうなるのだろう?

これまでやってきた自分を否定されてしまったような気持ちにさえなりました。

「おいしいお米をありがとう」で気づく本当の米作り

ある日、祖父の代からのお客さんで一人暮らしのおばあさんの家にお米の配達に行きました。

おばあさん:「いつもおいしいお米をありがとう。」

「感謝、感謝、今日もおいしくお米が食べられて、私は幸せだ!」

「私はこのお米があれば十分だよ。」

と手を合わせて喜んでもらいながら、昔の話を聞かせて下さいました。

戦争時代の大変さ、必死で仕事をして子供を育てたこと、その子供が都会で頑張っていることなどでした。

このおばあさんとの話が「はっ!」と私を我に返してくれました。

自分は稲のことを、米作りのことを本当に考えていたのだろうか?育てた稲の状況、またそれに携わるすべての人たちのことを考えていたのだろうか?いつしか農薬や化学肥料を減らすことばかり考えている自分。できたお米を自慢したい自分しかいないことに気づきました。 本当に土地の田んぼや稲を活かしていたのだろうか…?本当の生産者だったのだろうか…?

気持ちを新たに米作りへの再挑戦

育苗

もう一度原点に返って、稲の生長を見ながらその時自分ができる精一杯のことを行いました。

少ない経験ながらも同じ失敗は絶対にしないという思いで。

農薬を使わないのではなく、農薬をできる限り減らす。稲を元気よく実らせてあげるために、太陽の下、雨の下、早朝、真夜中でも1枚1枚の田の状況を根気よく注力し続けました。自分だけには絶対に負けないように。

そして収穫の秋、もう一度審査に挑戦しました。

結果は合格。

ついに長野県のブランド米の1つに私のお米も加えていただくことができたのです。種まきから精米までの一貫した工程を認めてもらうことができた瞬間でした。

皇室献上

平成24年の秋。

陛下がとても大切にされている宮中祭祀「新嘗祭」に当園のお米を献納させていただきました。東京にある皇居での献納式にも参列し、恐縮ながらも二度はない貴重な場に立てたことに感動しております。儀式では実際にお米を食されたそうです。献納式にて賜ったお言葉を胸に今後とも精進していきたいと思います。そして地域の農業の発展に尽力する。土を活かして稲を活かす。稲を活かしてお米を活かす。米を活かして地域を活かす。

皇室献上

長野県の新品種風さやか

若くして献上する農家はほんのわずかしかいない。自分はこれからどうすればよいのか・・・。献上の喜びの後に表現できないくらいのプレッシャーとの戦いが始まりました。

翌年、長野県から新しい品種「風さやか」ができるという話を聞き試しに作ってみることにしました。待望の秋、納得のいく出来ではなかったものの一口食べた瞬間に稲妻が走りました。それは自分が思い描いている味とは全く違う、美味しさを持つお米でした。「コシヒカリ」には出せない美味しさが「風さやか」にあったのです。風さやかを知ったことで本当のお米の価値に気づくことができました。それは日々のお米を楽しむ習慣を提供できることです!

私は現在「風さやか」を中心に長野県品種のお米の生産に力を入れています。是非コシヒカリと風さやかの食べ比べを楽しんでいただきたいと思っています。台湾 プロモーション

公開日:   最終更新日:2019/04/01

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